3-114U《因果断ちの一閃》
「あらゆるものとの関わり、縁が断ち切られた場所……そこは、ある意味でひとつの聖地でありましょう。」
~飾太刀の武者巫女~


 武器は見たところ、腰に佩いた太刀だろうか。刀身はやや短いが、白鞘が曲がっていないので、小太刀ではなくドスかもしれない。舞台の上に飛び移ったときの身のこなしを見れば相応に動けるというのはわかる。だが低い上背といい、幼い顔の造作といい、その女が自信満々に登場するほどの使い手には見えなかった。声には幼さがなかったので子どもではないと思うのだが、相手の力量が計れぬのか、あるいは自信だけが人一倍大きいのか。この〈神闘場〉にいるのだから、そこらの有象無象ではないと思うのだが。

「おい、聞いていたか、イズルハ?」と猫目の女は言い、次にミスティカの待機所に控えていた人魚のうちのひとり――《水底の魔術姫 ネスフィア》へとドスの先を向けた。「あんたもだ。そちらの人魚の方、あんたが皇帝だろう」
「皇帝ではないが、指導者ではあるな。ネスフィアという」
 と無礼な口の利き方に気分を害したふうもなく、ネスフィアは応じた。
「この勝負で賭けをしたい。おれが勝ったら、そいつをこちらに貰う。負けたらおれがそちらに行く。どうだ?」

 なぜか動揺したように見えたのが、女の側の国、つまりイースラだとかいう国の待機所にいた英雄たちだった。「おい、こら、勝手に何を言ってやがる」と白髪の髭面の男が言ったのが聞こえた。彼らは舞台の上の女をどうにか元の席に引っ込めたいようだが、既に試合そのものは成立してしまっているせいか、闘いが終わるまで外の者は入ることができなくなっている。
「あれは……あの人は、違うんですよ!」
 とやはりイースラの待機所の女――長い黒髪を後ろでひとつに纏めた妙齢の美女だ――が叫ぶように言った。なぜだか彼女の瞳には涙が浮かんでいた。
「知っている、が……」と舞台の上の女はイズルハにドスの先を突きつけた。「顔が気に入らん」
「なっ………」
 これまで――召喚英雄となる以前のことは曖昧だが――容姿を貶されたことはなかった。むしろ花だ月だと褒め称えられたくらいで、であれば目の前の女には怒りに似た感情が呼び起こされるのを感じた。

「ネスフィアさま、わたしは負けません。ですから」とイズルハは現在の主君に賭けへの肯定を仰ぐ。「承諾してください」
「ふむん、確かにわたしもおまえがあの程度に負けるとは思えんがな……」ネスフィアはゆっくりと首を傾げ、知覚にいた同種族の男に意見を求めた。「ネストー、あの女についてはどう思う? 実力の程は」
 促されて《幻術学院長 ネストー》が答えるところでは、「ま、中の下というところですな。平時なら英雄として持て囃される部類かもしれませんが、この神闘場では物の数ではありません」というところだった。
 そうだ。そのとおりだ。
 イズルハに相対する小柄な女は、己に対する評を聞いて不服そうな顔をしているのだが、実際、彼女がひとりの兵としてどれほどの実力かといえば、彼女の国の英雄たちの中では下から数えたほうが早いのは間違いない。あるいは将としての器が高く、己が剣を振るうのは得手ではないのではないかという気がしないでもなかったが、それならなおさら、この舞台の上に上がってきたのは失敗だろう。
「わたしも同感だよ」とネスフィアは妖艶に頷いたが、瞳は笑ってはいなかった。「だがな、わたしは剣を握り相対する相手が、何も打つ手なしに賭けなど持ち出すなどとは思ってはいないのだよ。作戦のひとつもなしに、あのようなことは言うまい? 何か手立てがあるからこそ、賭けなどというのを持ち出したのだろう?」

 ネスフィアの問いかけに、イズルハに相対する猫目の女は無言で肩を竦めた。答える必要などないということか――あるいは答えなどないということか。どちらかといえば後者ではなかろうかとイズルハは思う。どれだけの策略を用いても、目の前の女が己に勝てるなどとは思えないのだ。
「ネスフィアさま……」
 嘆願しようとしたイズルハだったが、しかしネスフィアは言った。「とはいえ、こちらも人手不足。あの海賊どもがいないせいで、戦力が足りておらん……となれば、多少の賭けには出てみたいところではある。イズルハのことは信頼しているしな。だから、賭けを受けよう」
「ありがとうございますっ!」
 己を信頼してくれたネスフィアに礼を言うイズルハに対し、猫目の女は不敵に笑うのみだった。

「ただ、賭けの結果についてだが……おまえはいらん。大して戦力にならなさそうなのは要らん。そうだな……」とネスフィアは値踏みするように対岸のイースラの席を眺め回した。「そちらの黒髪を結んだ女性と、弓持ちのをいただこう。美女ふたりを侍らすのも悪くはない」
「ふたりか」
「そうだな。賭けを持ちかけてきたのがそちらが先だ。勝った場合の報奨くらいこちらに上乗せしてもらっても良いではないか?」
「ふむん」
 闘技場の舞台の上の猫目の女は、己の仲間たちを振り返った。イズルハのところからでも、イースラの人々が頭の上でバツを作ったり、手を振ったりして必死に否定しようとしているのが理解できた。
「良いだろう」
 だが彼らの心情を汲み取らず、女はあっさりと頷いてしまった。「あの馬鹿」とイースラの人々が罵倒するのが聞こえた。

 どれだけ嘆こうとも、しかし既にふたりの闘技者が相並び、賭けは成立してしまった。
 神闘場の実況解説によって、試合開始の号令がかけられたが、対面の女は両手をだらりと下げたままの無防備な状態で、この女は果たして本当に勝つ気があるのかと心配になった。
 だが不安感に似た感情は、そんな相手の動作によるものではなかった。
(なぜこの女性は、わたしのことを貰うなどと言い出したのだろう)
 これまでの闘いで、イズルハの実力がこの〈神闘場〉の中でも抜きん出ていることは伝わっているのだろう。であれば、優秀な剣士を引き抜くというのは理解できないでもない――だがその対価に、負けたら仲間を、しかもふたりも差し出すというのが度が過ぎている。この女には、負けることへの恐怖や緊張といったものはないのだろうか?

 イズルハは挑むような目つきで猫目の女を睨んだ。
 だが女がイズルハを見返す目には怯えや恐怖、羨望や畏れの色はなく、あったのは奇妙に優しげな暖かさだけだった。
(この人は、わたしのことを知っているのか……?)
「覚えているか、イズルハ。稽古ではなく、試合として、死合として立ち会ったのは最初の一回と最後の一回だけだ」
「あなたは何を………」
「戦績は一勝一敗だ。おまえがそう言ったんだぞ。わかるか。つまり、これで決まるということだ」
「……あなたは誰なんですか? わたしの、何なんですか?」
 女の唇の端が持ち上がり、ふぅ、と息を小さく吐いて笑んだ。
「覚えておけと言っただろう」

 ミスルギだ。少女めいた猫目の女はようやく構えた。



 アトランティカ第五の世紀、蒼の時代。イースラにおいて英雄英傑たちが突如として失踪する事件が発生。だが3日後に英雄全員が無事帰還して事件は解決した。帰還した者たちの言によれば、「神闘場に行って他の世界の者たちと戦っていた」ということだったが、その闘いの結末については誰ひとり語らないため、結末を知るものは多くない。

 イースラの事件はもうひとつあった。英雄失踪事件で消えた者の中には蒼眞勢の頭首もいたのだが、〈神闘場〉の闘いから帰還したあとで、未婚の彼女はひとりの少女を連れるようになった。年の頃、十四、五のその少女は先の〈皇護の刃〉と瓜二つであり、かつて蒼眞勢の頭首と先代〈皇護の刃〉が仲睦まじかったことから、「やはり蒼眞勢の頭首は男であったか」「隠し子か」「いつ孕ませたのだ」などと人々の口に囃された。
「なぜおれが男なのだ」
 どういう目をしていたらそう見える、などと当の頭首が憤慨していたことはよく覚えている。

〈神闘場〉での疲弊も癒えた頃、《新月の武者巫女 ミズキ》は蒼眞勢の島を訪れていた。蒼眞勢の頭首として首都で仕事をすることも多いミスルギであったが、いまは彼女も島に戻ってきている。
 特に何か用件があるわけではなかったが、ミズキにしてみれば久しぶりの休暇だった。役職が上がってからは目まぐるしい日々が続いており、であれば闘うだけで良い〈神闘場〉での出来事は懐かしいくらいだ。ミズキは休暇を蒼眞勢の本家の館で過ごすことになった。
 贅を尽くした――とまでは言えないまでも、本土から離れた場所で〈皇護の刃〉をもてなすために宴を開いてくれたとなれば、その心遣いだけでも嬉しかった。魚介は都で食べるものよりも新鮮で美味く、舌鼓を打つとともに地酒も堪能しながらミズキはほろ酔い気分で床についた。

 その夜、ミズキはふと気配を感じて布団から抜け出た。気配は玄関からで、窓の外を見ると外への飛び石を歩いて行くミスルギの背が見えた。
 かつてこの島に滞在したとき、似たようなことは何度もあった。あの〈神闘場〉での闘いよりもずっと以前からだ。それは見事な仲秋の明月の日であったり、桜が舞い散る日であったり、薄暗い小雨の日であったり、雪が薄積もる日であったりする。彼女がどこへ行っているのか、誰に聞いてもわからないし、本人に尋ねても「気のせいだ」とごまかされてしまう。
 気配を消して、そっとあとをつける。本家からの道から坂に出ると、ミスルギは坂を登っていった。そしてたどり着いたのは、小さな鳥居のある社だった。精霊神を祀る神社だ。
 そこでミスルギは白鞘のドスを抜くや、素振りを始めた。素振り、足運び、型稽古と真夜中だというのに、行灯の灯りひとつで訓練を行っていくその姿を見ていた時、ミズキは気付いた。どれだけ移動しても、ミスルギの長ドスは常に社の奥に向いていることに。
 精霊神となったイズルハには墓がない。代わりにあるのは各地の社だ。この神社にも、海神エン・ハのものと並んで剣神イズルハの社と祭壇がある。イズルハの祭壇は常盤木だ。ミスルギの刃の先は、いまなおそこを目指しているのだ。
 一通りの訓練が終わると、ミスルギは長ドスを白鞘に戻し、そのまま戻るのかと思いきや常盤木の前にどっかりと腰を下ろした。そして懐から取り出したのが、酒だった。猪口を樹のまえにひとつ置いて注ぎ、自分のぶんも注いでいた。
「今日は島にミズキが来てるよ」とミスルギは祭壇に語りかけた。「知ってるか? あいつが〈皇護の刃〉だってさ。あの戦場でちょろちょろしていただけの小娘が、だ。信じられるか? 立派なもんだ。成長した。おまえと違って、乳もでかい。剣は……本人は、おまえにゃ剣じゃぜんぜん及ばない、なんて言っているが、おれじゃあもう勝てんから、つまり逆算するとおまえよりは強いな。おまえはおれに勝てないんだから。まぁ、戦争も最近はなかなかないから、活かす舞台はそうそうないんだが。ま、性格的にもいまの時代、ああいうやつが良いのかもしれん。まだ若いしな。ここのところは激務で疲れているみたいだが。いいかげん武官に文官の仕事をさせないでもらいたいもんだね。
 それと、あいつは――あいつは元気だよ。おまえによく似ている。当たり前だけど。でも少し粗暴というか、粗忽というか、なんだろうな、おれが歳を取ったからそう見えるだけか? 反抗心も感じる。まぁ、まだまだありゃ子どもってことだな。昔はわからなかったよ。おまえもあんなかんじだったかもしれないな――」

 彼女に声をかけないまま、ミズキは坂を下って蒼眞勢の本家まで戻った。客間の寝床に戻ろうとしたとき、廊下の奥から軽やかな足音がこちらに向かってきた。
「ミズキさん、戻ってこられたんですね」と心配そうな表情で《蒼剣白華 イズルハ》が囁いた。「こんな夜にどちらへ?」

 陽光世界レ・ムゥのミスティカから半ば強奪してきたような形でアトランティカにやってきた少女は、いまは先代の〈皇護の刃〉であり、〈剣神〉と瓜二つの見た目で人目を引きつけすぎるため、いまは蒼眞勢の群島でミスルギの娘として暮らしている。
「いや、少し外の風に当たりたくなって」
 自分よりずっと歳下となってしまったイズルハへの対応を、いつもミズキは迷ってしまう。違う、違うとわかっていても、彼女の中に己の知るイズルハを嗅ぎ取らずにはいられない。

「そうだったんですか」と安堵した表情を見せたイズルハだったが、「あの、ところで」ともうひとつ疑問を呈してきた。「おかあさんのこと、知りませんか?」
「え?」
 と聞き返してしまったが、おかあさん、というのはミスルギのことだろう。対外的に娘ということになっている以上、そう呼ばせているわけだ。
「その、よく夜に外に出かけていて、今日もそうみたいなんですけど、帰ってきてから尋ねてもどこに行っているのか教えてくれなくて……」
「ああ……なるほど、さっき外で見かけたけど、友だちとお酒飲みに行っているみたい」
「友だち………?」

 ミズキは〈神闘場〉事件に巻き込まれたうちのひとりであるため、彼女がどんな存在であるかは知っている。陽光世界レ・ムゥに正規の手段とは異なる〈神歴召喚〉によって召喚された召喚英雄。イズルハと同じ魂の鋳型を持つ、しかしまったく違う人間。
 彼女はこのアトランティカでは異質な存在で、だが十代半ばの少女であることには変わりない。
 かつて――初めて目の前の少女と同じ容姿の女性に出会ったときの頃、自分も同じくらいの年齢だった。そのときに目の前を歩き、剣を振るい、盾となってくれた大人たちのことは忘れていない。

 この少女はミズキの知るイズルハではない。だから、ミスルギも社の前で素振りをするのを忘れていないのだろう。それでも彼女のことを大切に育てている。そうあるべきだから。そうしないといけないから。そうあって欲しいと願うから。

 初夏の涼しい夜、小さな社の脇に生える樹に、小さな淡黄色の花が咲いていた。花は咲き誇り、落ち、橙色の実が成り、そして落ちた。実は獣に喰われ、人に喰われ、種は運ばれ、根付き、幹を作り、そしてまた花を咲かせた。

 生えるも生えぬも、甘いも渋いも、畑の土のよしあし。
(完)



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