小説ラスクロ『アニーよ、銃を取れ』/時代3/Turn11《赤髪の海魔獣》


13-110R《赤髪の海魔獣》
呪われし美女の上半身は犠牲者の悲劇的な未来を見つめ、力強き触手は揺るぎなき絶望を手繰り寄せる。



 アニーからは射撃術だけではなく馬術も教わっていて、だから波のような敵兵の手にもかかることなく、アンは砦下町を抜けた。そして敵兵の目から逃れるやいなや、すぐさまゴルディオーザがいるはずの森へと向かう。
 シャダスの部隊が砦を攻撃しているのならば、残るオルバランとヴェガはまだゴルディオーザを追撃しているに違いない。時間の猶予はない。

 ゴルディオーザの姿は探す必要がなかった。森の出口に彼はいた。倒れ伏すゴルディオーザ、その傍らで茫然としているディアーネ、そして――
「〈黄金覇者〉ぁっ!」
 撃てる。当たる。その自信はあった。馬上であっても、この距離なら、召喚英雄〈無料入場券フリーチケット〉に教わった腕なら、外しようがない。
 それなのに、アンは馬上でレバーアクションライフルを鈍器のように振りかぶり、ゴルディオーザにとどめを刺さんとしている小柄な少女にも見えるドワーフの女に向けて銃把を叩きつけた。

 相手は〈黄金覇者〉の異名をとるオルバラン王家であれば、こんな単純な攻撃などものともしないはずだ。だが馬の疾走を乗せた頭に打撃を喰らった〈黄金覇者〉が軽々飛んでいったのは、ひとつには意表を突いたからであり、もうひとつは彼女が負傷していたからだろう。
「アルマイル!」
 ディアーネの悲痛な叫びが聞こえたが、アンは無視した。〈黄金覇者〉のことなどアンにはどうでも良かった。銃を捨て、自分が馬から降りると同時に、その勢いで倒れていた意識を失っているらしいゴルディオーザを馬上へと引きずり上げる。

「アン!」
 アンを呼ぶ声は森の奥から聞こえてきた。少女めいた、しかし力強い声だった。何度も何度も聞き続けてきた、強くて優しい声。
 声に反応して振り返った彼女の目の前に、森の木々の隙間から跳びかかって来るドワーフの女の姿が見えたからだ。
 刹那のことだった。避ける? 受け止める? 〈黄金覇者〉の動きに対して、どう対応するのが最適なのか、兵士ではないアンには一瞬では判断できなかった。
 だが女の声が教えてくれた。痛みを堪え、動けなくなりながらも発せられた女の声が。
《アン・メイル》! 銃を取りなさい!」
 アンには斬撃が見えていた。〈黄金覇者〉は召喚英雄との戦いで弱っていた。であれば――であれば、あの〈無料入場券〉の弟子である自分が避けられないはずがない。
 伏せて大振りな横一閃を避け、次なる下薙ぎの一撃は伏せた姿勢から前のめりになり、前宙のように腕の力で跳んで避けた。その勢いのまま、前へ。目指したのは、ゴルディオーザを馬上に救い上げる際に捨てたレバーアクションライフル。

 ほとんど転がるようにして銃を取り、構える。〈黄金覇者〉は目前まで迫っていた。
 彼女の胸に銃口を押し当て、アンは引き金を引いた。銃口から光が迸り、火薬の炸裂とともに飛び出した弾丸が《目覚めし黄金覇者 アルマイル》の胸を貫いた。

 ああ、ほら、やっぱり――銃で命を奪うなんて簡単じゃないか。
 アンはライフルのレバーを引き、次なる弾丸を装填した。ゴルディオーザは傷ついて意識がない。ならば、もはや何をやろうとも誰に知られることもない。


「アル――」
 ディアーネは己の失態に膝をついた。ずっと、自分のことを姉のように慕ってくれていた少女。オルバランの黄金王家に生まれ、その重圧に悩み続けてきた少女。ディアーネを助けにやってきてくれた少女。
 アルマイルが死んだ。
 ディアーネは彼女の身体に駆け寄った。銃撃程度なら、たとえ近距離でも彼女の精霊力なら身を守れただろう。万全の状態なら。だが彼女は疲れ切っていた。ディアーネを助けるために、だ。すべてディアーネのせいだ。ディアーネがもっと早くゴルディオーザの手を振りほどき、彼を殺し、そしてオルバランに戻っていれば――。
 アルマイルの傍らにへたり込んだディアーネは、彼女の胸の傷からの出血があまりに少ないことに気付いた。急ぎ傷口を調べると、彼女の胸元には赤陽色に輝く、宝石のようなものがあった。石は砕け、破片はアルマイルの胸に突き刺さっていたが、その傷口は深くはない。
(魂石………!)
〈魂石化〉。
 それはかつてオルバランにもあった技術。想いを形に変える、いまは失われてしまったはずの秘法。
 だがディアーネにはわかった。アルマイルが、〈黄金覇者〉となった彼女が、失われた魂石化の法を蘇らせたことを。これが誰かの魂石であり、これが彼女の命を守ってくれたということを。
(誰の魂石だか知らないけれど……ありがとうございました)
 ディアーネはアルマイルの命を守ってくれた魂石に心の中で礼を言った。まだ生きている。ならば、助けなければ。傷は浅くても、重傷化するかもしれない。敵兵がやってくるかもしれない。ならば、オルバランの陣地に連れていくべきだろう。

 そんなふうに考えていたディアーネの胸に、レバーアクションライフルの冷たい銃口が触れた。アン。ディアーネたちを守ってくれたはずのメイドが、今度は逆にディアーネに銃を突き付けていた。
「あなたは――」
 何をしているのか、と問う前に引き金が引かれた。ディアーネを守る魂石はなく、精霊力を減衰させるだけの十分な距離もなかった。


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