小説ラスクロ『アニーよ、銃を取れ』/時代3/Turn7《ノワ》


13-034R《ノワ》
……戦士長が言ってた! 美しさは、心の強さだって! だから少しくらいの逆境で、くじけちゃダメなんだッ!



 渓谷の最も狭くなっている部分で待ち受けられていたとなれば、包囲する敵将に向かい合うしかなかった。既にこちらの大将たる《黒覇帝 ゴルディオーザ》は包囲を突破して砦のほうへと逃がせたのだから、後顧の憂いを断つのは悪くない。〈黒覇帝〉を逃がして己がここに留まったことが目の前の女の策略でなければ、だが。

 亜麻色の長い髪の、女にしては大柄な乙女。この女がオルバランの将か、と《赤魔将 豪砕のダズール》は検討をつけるや、騎乗する熊の首を女へと向けた。
 だが接近するまえに女が携えていた大剣を馬上から振るったので、ダズールは馬の足を止めた。
「オルネア宮の試練の間の守りを任されて早十数年……」と女は剣を握っていないほうの手を己の豊かな胸に押し当てる。「初めこそ縛り付けられたこの腕と力を怨みもしましたが、今や大闘神官であると同時に黄金覇者を守る剣。我が名は《地宝剣の大闘神官 レト》! 戦に恋い焦がれたこの想い、地宝剣とともに受け取っていただきましょう!」
「む………」
 大剣を突きつけられ、ダズールは唸った。

 というのも、この《地宝剣の大闘神官 レト》という女、間違いなく口上を用意してきたのであろう。でなければ、こうもすらすらと流暢に喋れるはずがないし、口上を終えたあとに得意げな顔をするはずがないのだ。
 これに対抗する口上を、しかし《赤魔将 豪砕のダズール》には思いつかなかった。彼はもともと口下手である。戦いに口先などとは言ってはいるが、しかし武骨な己を必ずしも良しとしているわけではない。伊達者を気取る《紫魔将 風牙刃のロム・スゥ》に馬鹿にされ、典雅さに欠けた己の教養を恥じたこともある――ダズールが懐に辞世の句を忍ばせるようになったのはそれからであった。
 辞世の句は辞世の句である。戦いの魁として叫ぶにはいかにも不適当であり、また詠んだところで辿り着くのは己が敗北である。そもそも、未だ百点満点の出来とは言い難い。もっと良くできそうな気がするのだ。
 であれば、今この場で考え、状況に相応しい口上を返さねばならぬ。力馬鹿と揶揄されることもあるダズールではあったが、その実、心根は繊細であり、失敗を引きずる部類であった。失敗はできない。

 考えた末、ダズールはひとつの結論に辿り着いた。
「《赤魔将 豪砕のダズール》………!」
 己が名を名乗るのみ。単純であり、それゆえ力強い回答。どうだ、見たか。ダズールは思わず口元に笑みが広がるのを隠すのに苦労した。
 ダズールの返答が戻ってくるまでの間、画家に絵を描いてもらうのを待っているかのように剣を構えたままの姿勢で待っていたレトも唇の端を持ち上げるからには、彼女は彼女で、己が口上こそが勝利を奪ったと思っているのだろう。よかろう。これは前哨戦に過ぎず、これからが真なる戦いだ。


 眼前の炎を切り裂き、《紫魔将 風牙刃のロム・スゥ》は前方に向かって飛び出した。間髪入れずに己に向けて飛んできた矢をすべて刀で叩き落とす。
(あまり良くないな)
 数の差は大きい。連れてきた兵はほとんどが死んだか重傷で、この場で動いているのはロム・スゥのみになってしまった。もちろん相手の兵にも大打撃を与えたはずなのだが、全員を倒しきってはおらず、相手方の射手がロム・スゥのみを狙っているという状況だ。

 特に厄介なのがスワントの射手だ。離れた場所にいる羽つきの相手を切る御業――〈風牙刃〉もロム・スゥは心得てはいるものの、先程からそれを実行しようとしても上手くいかない。理由は簡単だ。炎の壁でロム・スゥの剣を妨害する者がいるからだ。
「そのまま距離を取り、射撃を継続してください!」
 ヴェガ軍の指揮を執っているのは、斥候の報告通りミノタウロスの女だった。しかしミノタウロスの女にしてはおっぱいが小さいな、などと《ロム・スゥ》は思う。いや、これが人間ならば十分大きい部類に属するというのはわかっているが、相手が牛ならば相応のものがあろうと構えていただけ、無念さが漂う。これならオルバランの「大柄な女」のほうがおっぱい天国だったかもしれない。

「残るはあなたひとりだけです。降伏しなさい、〈五魔将〉が一、《風牙刃のロム・スゥ》」片眼鏡モノクルを付けたミノタウロスの女が言う。「それともその不敵な笑いは、ここからでも逆転の方法があるとでも言いたいつもりですか?」
 いや、おっぱいのことを考えていただけだ――とはロム・スゥは言わないでやった。代わりに、と訊いてやる。「お澄まし顔のねえちゃん。さっきからいちいちの妨害ご苦労様。で、あんた、名は?」
「問われたならば答えましょう。《炎智の到達者 リュンサ》と」
「そうかい、リュンサのねえちゃん。ありがとよ」ロム・スゥは刀を鞘に収め、もう一度不敵に笑みを浮かべてやった。「死に行く者の名前はちゃんと覚えておかないと――なっ!」
《風牙刃のロム・スゥ》はその異名通り、鞘から抜いた速度がわからぬ風の如き速さで剣を抜き打った。鋭い剣刃がリュンサに向かって突き進んでいく。
 ミノタウロスの女は魔法で炎の壁を作り出したが、その程度で〈風牙刃〉は止まらない。
「このっ……!」
 炎の壁越しではあったが、その声で歯噛みするリュンサの姿を思い浮かべることができた。そして雷鳴とともに稲妻が弾け飛べば、雷魔術が〈風牙刃〉を吹き飛ばしたことも想像できる。ミノタウロスといえば炎魔術だが、あの女は雷魔術も会得しているらしい。

 ま、そんなことはどうでもいい。
 当たったかどうかの確認もせずに、ロム・スゥは敵に背中を向けて脱兎のように逃げ去っていた



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