12-034C《野薔薇の姫神》
戦士たちが愛でし薔薇は、例え戦いの中で散ろうとも、その美しさを永遠に残します……大地に勇気と力の種をまいて、ね。



 これから為すべきことを考えて、《夜露の神樹姫 ディアーネ》は己の膝元に視線を落とした。

《神樹の宮 オルネア》が襲われたとき、ディアーネは敵の召喚英雄――たしか〈死に札デッドマンズ・ハンド〉だとか呼ばれていた――の前に出て行った。大柄な体躯に髭もじゃの〈死に札〉は、その悪人面と奇襲をして町民を襲った残虐さとは対極的に、自ら敵の前に姿を現したディアーネに対しては紳士的だった。
「あのひとは、信用できる」
 敵ではあったが、約束は守ると考えて間違いはない――少なくとも、彼自身の身に危険が及ばない限りは。ディアーネにはそんな確信があった。

 ディアーネが取り付けたのは、彼女がメレドゥスまで出向いて〈黒覇帝〉と交渉するので、その間はオルネアの住民に危害を加えないという約束だ。
〈死に札〉はおそらくこう思っただろう。ディアーネは己の身を人質にすることで、オルネアの住民を逃がそうとしているのだ、と。
 だがディアーネが考えているのはそれ以上のことだった。スカートで覆われた太腿の剣帯に指を這わせれば、そこにナイフの硬い感触がある。かつて聖樹の落ちた枝から作られた、聖別されたナイフだ。メレドゥスの黒魔術では感知されまい。
 これで〈黒覇帝〉を殺す。それはひとつの理想的な展開である。
 ここ一年ほど――つまり前の〈黒覇帝〉が死んで新たな〈黒覇帝〉に世襲されてからというもの、メレドゥスとの戦争は激化の一途を辿っていた。
 もともとメレドゥスとオルバランは敵対する国家同士だ。そもそもが戦乱のレ・ムゥであれば当然のことだが、敵対するといってもそれがそのまま戦に直結するわけではない。ようは相手より強大になればそれで勝ちなのであり、戦争で土地や金を奪うよりも、守りに入って民を養い、食料を蓄えるほうがずっと効率的だ。戦などというものは、国を富ませるには効率の悪い手段なのだから。

 だがメレドゥスは、その効率の悪い手段を取るようになっている。しかもオルバランに対してだけではなく、他の三か国に対しても、だ。これで戦に負けていれば国民の士気が落ちて終わりなのだが、ほとんどの戦いで勝つか講和による引き分けに持ち込んでいるのだから、メレドゥスは潤う一方だ。
 新たな〈黒覇帝〉に世襲されてからメレドゥスが変わったのであれば、その〈黒覇帝〉さえ亡き者にしてしまえば元通りの睨み合いに戻るだろう。それが平和だとは思わないが、少なくとも戦乱の世よりはずっとマシだと思っている。
(もし失敗したときには………)
 アルマイルやスウォードの足手まといになるわけにはいかない。この刃で、己の喉元を突くことも考えなければいけないかもしれないが。

 メレドゥス王宮、おそらく客間であろう一室のドアがノックされた。
「はい?」
 ディアーネは慌てて手をスカートの中から抜き、椅子の上に坐り直す。
 扉を開けて入ってきたのは黒髪の女性だった。服装から判断すれば、メイドだろう。ディアーネとそう変わらない年齢のようだ。
「ゴルディオーザさまがお呼びです」
 緊張の色が見て取れるメイドの言葉に頷いて、ディアーネは立ち上がる。馬車で城まで連れてこられ、この客間に通されてから四半刻ほどしか経っていない。玉座に坐る男としては素早い対応だ。ゴルディオーザという男はディアーネに少なからず興味を抱いているのだろう。
 促されるままにメイドの後ろについていくと、通されたのは白いクロスが引かれた長テーブルのある広間だった。食堂かもしれないが、長テーブルの上に載っているのは蝋燭だけだ。日が短く太陽高度が低いためか、昼間だというのに蝋燭には火が灯っていた。
 長テーブルの座席についていたのはふたりだけ。男女だったので、男のほうが〈黒覇帝〉だな、と検討をつけ、促されるままにふたりの体面に座る。

《黒覇帝 ゴルディオーザ》は一言で言えば貧相な男だった。

 まず顔色が悪い。肌は女のように青白く、羽織っている服の隙間から見える腕や足は上背の違いかもしれないがディアーネよりも細いように見えてしまった。髪は銀髪というよりは色素の抜けた白髪で、緑色の目を例えるなら翡翠よりも濁った池の藻だ。髪飾りは似合っておらず、センスがない。
 センスが悪いといえば、スウォードだ。彼は戦ともなれば魁となり最前線で戦う戦士なのに、胸や足を丸出しにした格好をしている。本人曰く「精霊力があるから大丈夫で、重い甲冑など身に着けていたらむしろ戦う際は重荷になる」ということだったが、それならせめて胸元を覆い隠す服でも着てほしいものだ。彼の理屈は、今日は暑いから全裸で出歩いても構わない、と言っているようなものだ。
 ディアーネは幼馴染の《赤陽の大闘士 スウォード》のことを思い出して噴き出しそうになった。

「何か」とハスキーな声が言った。「面白いことがあったかな」
 ディアーネは思い出し笑いをしていた自分を心の中で諫め、〈黒覇帝〉と彼の隣に座す女に向き直った。「いえ、失礼致しました。《夜露の神樹姫 ディアーネ》と申します。此度はこちらの要求を受け入れていただき、ありがとうございました」
「わたしはあなたの要求を受け入れてはいない……現場の召喚英雄の判断だ。あなたの要求はあなたが来てから知った」
「感謝しています」
「わたしと交渉したいということだが」
「単刀直入に申しますが、戦争を止めていただきたいです」
「そんな馬鹿げたことを言うために、あなたはのこのことここまでやって来たのか?」
「そう受け取っていただいても結構です」
 無理ならあなたを殺すだけです、とまではディアーネは言わなかった。
「ふむん」と〈黒覇帝〉は思慮深げに頷いたが、まさか素直にディアーネの申し出を考慮しているわけがないだろう。

「オルバランの神樹姫さま、今回のことは――」
 と初めて〈黒覇帝〉の隣に座っていた女――破廉恥な恰好をした、しかし美しい容貌の女だ――が発言しかけたが、しかし〈黒覇帝〉が遮った。「黙れ、べリス・ベレナ」
「しかしゴルディオーザさま……」
「黙れ、ベレナ。おまえは出ていけ」
 べリス・ベレナと呼ばれた破廉恥な恰好をした女は一度肩を竦めてから席を立ち、部屋を出ていく。
「これは計算外だな」
 ディアーネの入ってきたドアから出ていくとき、べリス・ベレナがそんなふうに呟くのが聞こえた。言葉とは裏腹に愉快そうな口調であり、振り向いたディアーネは女の唇に薄い笑いが浮かんでいるのが見えた。

「さて、ディアーネ。あなたの申し出に関してだが、条件がある。それはわたしとあなたが結婚することだ」
 〈黒覇帝〉の条件を聞いてディアーネが思い出したのは、幼馴染のスウォードではなく、妹のように接してきたアルマイルのことだった。彼女は大きすぎる先王の陰で、己が王として相応しいかどうかずっと悩んできた。
 だがいまなら言える。彼女はきっと良い王になるだろう。目の前の糞呆け馬鹿男に比べれば。


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