小説ラスクロ『ペチコートを着た悪魔』/時代1/Turn1/《神樹の宮 オルネア》


12-039U《神樹の宮 オルネア》
真の大勇者となるために向かった魂の試練の地。だが、そこでアルマイルを待ち受けていたのは、予想もしない暗殺者の襲撃と哀しい別離であった。



 黄金色の(ベル)が鳴り響いた。

 安宿の一階にある酒場(サルーン)の戸に取り付けられたベルだ。いかにそれが光り輝こうとも、それが真に金製ではないことは誰にでも想像できる。おそらくは真鍮製だろう。銅と亜鉛の合金だ。比率は銅が六に亜鉛が四といったところか――いや、音が重いので、銅の代わりの混ざり物がもう少し含まれているかもしれない。鍛冶鍛造を行うことがある《黄金の宿命 アルマイル》はそんなふうに検討をつけた。

「アル」
 黄金色のベルを見ていたアルマイルの耳朶を落ち着いた男の声が打った。声の先にはこの僻地まで伴としてついてきてくれた《赤陽の大闘士 スウォード》の姿がある。彼は4人がけの丸テーブルに座し、アルマイルに手招きをしていた。頷いて、彼の向かいに座る。
「何かあったか」
「いや、ベルを見ていただけ」
「ベル? なんだ、そりゃ。何を食う? 場末だから、食いたいもんがあるとは限らないが――」
「お客さん、泊まっておいて場末はないな」

 肩と胸元を露出した白のブラウスの上にコルセットのようなボディスとエプロン付きのスカートという恰好の女主人がいつの間にかテーブルの傍に立っていて、両手に携えたジョッキで勢い良くテーブルを叩いた。中の赤茶色の液体が少しテーブルに溢れる。サルーンの主人が二階の〈ヤンガーズ・ベンド〉だとかいう宿に泊まる手続きのときに対応してくれた女性と同じであるからには、どうやら宿もサルーンも同経営らしい。
大麦酒(エール) ふたつ、お待ちどう」
「おい、待て」と唇を歪めてスウォードが言う。「まだ注文してない。飲み物なら、水でいい」
「いいの?」
 女主人は顎でテーブルの脇に立てられているメニュー表を示した。水が酒の三倍だというのを見て、女主人の意図を理解した。
「首都じゃないんだよ、お客さん。飲み水は無限に出てくるわけじゃあないんだ」
「エールでいい」
 とスウォードはすぐに諦めた。

「注文が決まったら呼んで」
 と女主人は水滴のついた両手をスカートの裾で拭ってカウンターのほうへと去っていく。落ち着いた雰囲気のサルーンの席は宿の規模相応だったが、客がアルマイルとスウォードのふたりだけとなれば随分と広く感じる。
「場末だよなぁ」
 スウォードが己に言い聞かせるように言った。彼の言うように、客の少なさはこの宿酒場が特に流行っていないのではなく、単に立地の問題だろう。そもそもアルマイルたちにとっても、こんな場所に宿があるなどというのは予想外だった。もともとは野宿を予定していただけに、嬉しい誤算ではあったのだが。
 店側でも繁盛しない店だというのは理解しているらしく、女主人のほかに従業員はひとりしかいないらしい。

 生温いエールで喉を潤しながら、メニュー表を睨む、が、アルマイルはこうした店で飲み食いをした経験があまりないため、どれをどれくらい頼むのが適切なのかがよくわからない。諦めて、スウォードに注文を任せる。
 スウォードが店員を呼ぶと、先ほどエールを置いてきた女主人ではなく、まだ幼さを感じさせる髪の長いウェイトレスがやってきて注文を聞いた。
「スウォード、チリコンカンとはなんだ?」
 ウェイトレスが去っていってから、彼の注文の中にあった料理について尋ねる。
「豆と玉葱と肉のトマト煮込みだな」
「美味いのか?」
「唐辛子が入っているから辛い」
「なんで頼んだ?」
「辺境のやつがよく食ってる料理だ。そんな珍しいもんじゃないが、不味いもんでもない。豆しか食うもんがないと食ってるようなやつ。たまにはいいだろ」

 辺境、そう、確かにこの場所は辺境であり、僻地だ。アルマイルはスウォードとともにお忍びの旅を続けていた。現在の目的地は《神樹の宮 オルネア》――かつて王であった父も修業したという、オルバランに伝わる修行場だ。
 オルネアを目指す目的は、もちろん修行にある。先帝が死に、《黒覇帝 ゴルディオーザ》が魔皇帝になってからというもの、魔帝国メレドゥス動きは看過しがたいものとなっていた。神歴召喚によって戦争が激化し続けるいま、ゴルディオーザと同様にオルバランの帝位を継いだばかりのアルマイルは〈黄金覇者〉とならなければいけなかった。

 〈黄金覇者〉。

 それはオルバラン王家に代々受け継がれる二つ名だ。アルマイルも、〈黄金覇者〉となることを運命づけられている。運命づけられてはいるが――。
(わたしにその資格があるのか?)
 父は偉大な英雄だった。彼は覇者たる金色の闘気によってオルバランを平定した。そう、彼は英雄だった。〈黄金覇者〉だった。
 だが娘であるアルマイルにしてみれば、どうだ。大言壮語するばかりで、何一つ成し遂げられたことがないのだ。世間知らずで実力のない、空言ばかりのお仕着せなのだ。父の代からの臣下にしても、アルマイルに従ってくれるのはきょうだいのような仲だったスウォードくらいのものだ。だが彼はアルマイルの傍にいてくれはしても、アルマイルの道を指し示してくれはしない。
(ディアーネと、話がしたい)
 スウォードがアルマイルにとって兄なら、オルネアを管理する《夜露の神樹姫 ディアーネ》は姉のようなものだ。オルネアを目指したのは、彼女から助言を聞きたいからという理由もあった。彼女なら、何かアルマイルに道を示してくれるかもしれないと思ったし、彼女の言葉ならどんな言葉であれ、従いたいと思った。たとえ玉座を退いて他者に王権を明け渡せと言われたとしても。

 アルマイルは己のことを、身に着けているこの鎧のようだと思うことがある。この鎧は真鍮製で、見た目は黄金には似てはいるものの、黄金ほどの重さではないし、黄金ほどの輝きではない。黄金のような価値はない、ただの――ただの、紛い物だ。



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