小説ラスクロ『太陽の鴉』/時代4/Turn11《火易の神竜盤》


10-064U《火易の神竜盤》
「当たるも八卦、当たらぬも八卦……もっとも今は一世一代、ここ一番の大勝負! 災いの根の在り処、読み当てないわけにはいかないが!」
~乾坤一擲 ヤクシュ~

『これは一種の選挙だと思っていただきたい。あなたが、すべてのレムリアナの者が投票権を持つ選挙だ。
 普通の選挙と違うのは、勝利した者が手にするのが政権ではなく、《大翼神像 セゴナ・レムリアス》を動かすための権利であるということだ』

 《魔血の破戒騎士 ゼスタール》の声は、さすが若くしてゼスタムという組織を率いてるだけあり、朗々としていた。言葉運びにもたつきはなかったし、間の置き方にも優れ、何よりも声が鋭かった。低く、鋭く、落ち着いた――論理的に人を諭すなら、これ以上ない声質だ。彼が手を置くのは《魔導戦艦 ゼスタナス》の壊れた外壁に脚をつけただけの代物だったが、即席の演台とは感じさせない力強さがあった。
(失敗したかな………)
 ゼスタナスから引き抜かれた《聖求の旗艦 メルアンタ》の上で寝転んでいた《聖求の勇者 セレネカ》は《聖知の護光官 クロルト》の書いた演説原稿を投げ捨てて舌打ちをした。

 演説の先攻はゼスタールだ。お先にどうぞ、と来たので訝しみ、逆に先手を譲ったのだが、失敗だったかもしれない。ゼスタールは促されるままに演台についてしまった。
(いや、まぁ、こういうときはだいたい先になんかやったほうが負けるもんだけど)
 と都合の良い法則を作り上げ、己を慰めようとしても、メルアンタやゼスタナスで作業中の《メルアンの戦闘員》でさえも作業を止めて耳を傾けているのであれば、ゼスタールの影響力を実感せずにはいられない。

 何よりも衝撃が大きかったのは、《神告の秘使者 エルニィ》の変化だ。セレネカは地上で体育座りをしてゼスタールの演説を聴いているエルニィを一瞥した。
 一日を挟んでようやく出会えた彼女は、抱きついてきたり、寂しかったよなどと言ったりはせず、それは予想通りではあったのだが、しかしいつの間にかくるくると表情がよく変わるようになっていたのは完全なる予想の埒外であった。いったい、何がこうもエルニィを変えたのか。何かいやらしいことを——たとえば耳たぶを噛まれたり、指を絡ませ合わせられたり、靴下を脱がされたり——されたのではなかろうか。
 今も、まるでゼスタールの演説に聞き惚れているかのようだ。それとも単純に大魂声術という魔法を使っているだけなのだろうか。

『果たしてその権利を手にするのはどちらなのか、それを決定するまえに、まず考えてみてもらいたい。
 《大翼神像 セゴナ・レムリアス》は強大な兵器だ。それなのにそれを相手にするだけの相手はまだ出てきていないとなる

 ふむ、とセレネカは耳を傾ける。ゼスタールの論調が変わった。
 それまでの話はといえば、声は良い。間の取り方も良い。話す調子も悪くないと来ているのに、肝心要のその内容はといえばこの選挙のルールだとか、大翼神像に関する説明を述べたもので、はっきり言ってお粗末極まりなかったのだが、論旨が具体的なものへと変わってきた。

 《聖求の勇者 セレネカ》は危険だ。
 それがゼスタールの論の趣旨だった。
 すなわち、5ヶ国の中でも特に力を持つティルダナが擁する勇者、セレネカが《大翼神像 セゴナ・レムリアス》を手にすることになったら、その力があまりに強大になりすぎる。だから自分を権利者にせよ、と、そういうことらしい。

『おれはセレネカに負けた人間だ。負けて、船を失い、仲間を失い、母親代わりだった人も失った。
 だがそれでも、セレネカよりは遺産の継承者としてはマシだ』

 ふむむ、ともう一度セレネカは唸った。
 まさか本当にこの論で人心を引き込めると、哀れな同情を呼び込めると、セレネカに勝てると思っているわけではあるまいに、ゼスタールの話し振りには微塵も迷いがなかった。
「ゼスタールは、いったいこの勝負の何処に光明を見出したのでしょう?」
 クロルトの問いかけに対するそれらしい回答は未だ誰も見出せてはいない。

 だがセレネカには僅かにその糸口が見えたような気がした。
(この男の言葉は空言だ)
 実が無い虚言であり、ただ言葉を紡ごうとしているだけなのだ。セレネカはそれだけは確信することができた。
 では、なぜ時間を稼ぐ? 一分一秒でも、己の演説時間を引き延ばそうとする?
 ――単純な理由だ。そうすることで、己が有利になるからだ。

 セレネカはメルアンタの甲板を飛び降りて柔らかな浮島の草の上に降り立った。ゼスタールが演説を続けながらこちらを一瞥したが、彼のことはもはやどうでも良い。
「エルニィ!」
「大きな声は……、選挙の妨害になりますよ」
 と、一昨日まではセレネカの前では見せなかったたじろぐ表情で、エルニィが応答した。
「演説を妨害するほどじゃないでしょ。それよりルールの確認なのだけれど、レムリアナのすべての者から投票を受け付けるって言ってたよね? それはゾンビやスケルトンも含まれるの?」
「大魂声術は、魂に響きます。ですから、経年劣化に伴う摩耗によって魂を失っていないアンデッドであれば、それらは投票権を持ちます」

 セレネカは舌打ちをした。悪い予感が当たった。
「もうひとつ……、集計にはどれくらい時間がかかるの?」
「すべての魂と繋がり、それらと意思疎通を図るには、少なく見積もっても、二、三刻はかかります」
「その間に新しく産まれた者に関しては?」
「魂が価値判断の決定力を持つのであれば、それは集計に含みます」

 レーテにはスケルトンがいて、ゾンビがいて、グールがいる。それは子どもでも知っている事実だ。
 そしてそれらの生き物とはいえぬ生き物――不死者たちは、他の国のいずれの生物とも違い、屍霊術士が手を加えることで生成することができる。
 もし、ゼスタールが彼らレーテの屍霊術士と連絡を取っていたとすれば、果たしてどうなるだろう? ゼスタールはレーテの慟哭城の主と対立しているわけだが、レーテのすべての者と対立しているわけではないだろう。
 レーテの屍霊術士の協力のうえで、ゾンビやスケルトンを生成することで票の上乗せを企んでいるとすれば、それはセレネカの得られる票を凌ぐかもしれない。

 ゼスタールの演説が終わろうとしていた。予定していた四半刻を倍以上に超過しての演説だった。
 セレネカは一息深呼吸をしてから演説台へと向かう。
「セレネカ、原稿は――」
 とメルアンタから声をかけてきたクロルトのことは無視して壇上へと上がり、もう一度深呼吸。それからゆっくりと口を開く。ありったけ、とびっきりの声で。

「レムリアナのすべての人に聞いてもらいたい。この世界に脅威が迫っているということを。
 その脅威が何なのか、先ほどゼスタールが言ったように、誰も知らない。わたしも知らない。本当に訪れるものなのかも知らない。確かな裏打ちのないこの現状で、《大翼神像 セゴナ・レムリアス》という強大な兵器を動かすことに不安を覚える方もいるかもしれない。
 だがエルニィは、確かに脅威が遠からぬ未来に訪れるであろうことを教えてくれた。エルニィというのは、そこにいる——」ついとセレネカは視線をエルニィへと向けてみせた。「小さな子のことだ。彼女はたったひとり、己が身を犠牲にしながら、この世界へとやってきた」

 セレネカは計算された間を置いてから、話を続けた。

「もし彼女が、あなたの家族だったらどうだろう?
 あなたの子が、娘が、己を傷つけるであろう脅威を愬えている。そんなときにあなたは、そんなことはありえないよと、気のせいだよと、そんな言葉だけで片をつけるのだろうか?
 わたしはそうはしたくない。後悔したくないからだ。負け犬になりたくないからだ。胡坐をかいて死ぬのは御免だからだ――。だからわたしは努力をしたい。後悔しないための努力を。
 あなたはどうだ。あなたがた、ひとりひとりはどうだ。もし抗う意思があるならば、強力してほしい」

 ゼスタールが策を弄して票の水増しを企むならば、こちらは単純に票を集め、正面から策を打ち破るだけのことだ。
(ゼスタール、おまえは英雄じゃない)
 わたしは勝つぞ。セレネカは言葉を世界へと届けた。



 果たしてこの選挙めいた勝負を仕掛けないという選択肢はあっただろうか、とゼスタールは壇上のセレネカの演説を聞きながら、改めて自問した。

 エルニィを確保した時点で、まだほかの選択肢もあったのではなかろうか。たとえば、単純にエルニィを人質にして捕虜やゼスタナスの引き渡しを要求する、だとか。
 いや、それでは駄目だ。おとなしくセレネカが引き下がるわけがないし、もし要求が受け入れられたとしても、背中から撃たれる可能性もある。ゼスタールがレーテの人間であり、セレネカがティルダナの勇者であるからには、それはありえそうなことだ。いかにゼスタールがレーテを離反したとはいえ、その確執は根深い。因縁は、大翼神像を手に入れたからそれで満足するようなものではないのだ。

 ゼスタールの達成しなければならない目標はふたつあった。
 ひとつは捕虜になったゼスタナスの乗員を助けること。
 もうひとつは死したゼスタナスの面々が命を賭して行き伸びさせてくれた己自身を生き延びさせること。
 どちらをも達成するには、やはりこの作戦しかなかった。

 演説終了からの集計時間は三刻を越えた。結果は未だ不時着したときのままの姿勢のゼスタナスの壁面に、エルニィの魔法によって映し出された。夕暮れ刻の赤く染まった壁面には、数値が票形式で表示されていたので、どちらが勝ったかは一目瞭然だった。

 ティルダナ――391,002人中、セレネカ票389,019人、ゼスタール票**1,983人。
 メギオン―――219,121人中、セレネカ票172,433人、ゼスタール票*46688人。
 アズルファ――371,419人中、セレネカ票216,556人、ゼスタール票*154863人。
 レーテ――――700,009人中、セレネカ票******0人、ゼスタール票700,009人。
 ヘインドラ――267,427人中、セレネカ票222,043人、ゼスタール票*45,384人。
 その他――――*****2人中、セレネカ票******0人、ゼスタール票*****1人、無効票******1人。 

 有効票合計――1,948,979人中、セレネカ獲得票1,000,051票(51.3%)、ゼスタール獲得票*948,928票(48.7%)

 ゼスタールは負けた。

 間に合わなかったか、とゼスタールは嘆息した。手応えは、確かに投票数という形で反映されていた。あるいはやり過ぎともとれるその数字には、己の作戦が完全には間違っていなかったことを物語っていた。
 だが間に合わなくては、元も子もない。

 ゼスタールは目の前が暗くなるのを感じた。
(おれは英雄じゃない)
 誰も救えなかった。守られて、逃がされた。弱かった。
 だからそんな弱いゼスタールには、この作戦しかなかった。
 だから——だからそんな弱いゼスタールには活路があった。

 視線を持ち上げれば、白い太陽も赤い夕空も橙色の雲も消え去り、空には暗黒が広がっていた。

「間に合ったか………!」
 空に浮かぶ鴉の濡れ羽色の巨大戦艦――《魔導戦艦 ゼスタナス》と瓜二つのそれが、太陽を覆い隠すように鎮座していた。



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