小説ラスクロ『太陽の鴉』/時代3/Turn6《大凶兆》


7-115U《大凶兆》
あら残念……貴方、今夜はツキがなかったわね!

(あの年増女めっ——!)
 混乱の最中にある《魔導戦艦 ゼスタナス》の自室のディスプレイを眺めながら、《魔戦技の異端姫 シェネ》は歯噛みせずにはいられなかった。

 半分以上の船内監視装置は、その機能を終えつつあった。数少ない存命しているカメラが、進行中の《メルアンの戦闘員》の姿を捉える。その先頭に立つのは、年齢に似合わぬミニスカートを穿いた赤毛の女だ。いや、己では若いと思っているのだろう。確かに人を惹きつける容姿はそれだけ若く見えるわけだが、それでも十代の処女とはいかぬだろうに。
 シェネは己の年齢や格好、少女趣味だと揶揄されることもある自室の内装についてはひとまず棚上げにして怒りと侮蔑を滾らせた。

 シェネの居室は、元は司令官の部屋として使われる予定だった部屋のひとつで、そのため船内各所に備え付けられたカメラを監視し、音声を伝える装置があった。
 メインブリッジにあるものに比べると機能は簡略化されてはいるものの、ゼスタナスに入り込んだ《メルアンの戦闘員》の位置を確認して指示を飛ばすには十分だ。ブリッジに行くには危険が大きいので、シェネはここで鍵を掛けて篭城し、状況を味方に伝えるべきだ——それがメルアンを迎撃するために部屋を飛び出していったゼスタールの主張だった。

 ここに来て、《魔導戦艦 ゼスタナス》号の最大の弱点が出ていた。その広さだ。 ティルダナの白い船にどれほどの船員が乗っているのかはわからないが、区画あたりの人口密度は間違いなくあちらのほうが上だ。何せ小さい。
 そしておそらく、戦闘員の人員数はそうは変わらない——いや、ゼスタムのほうが少ないくらいかもしれない。あちらのリーダーは国を挙げてのバックアップを受けた勇者であり、対してこちらは国を追われた破戒騎士なのだ。

 《メルアンの戦闘員》たちは衝角突撃とともに船尾から侵入し、おそらくは操舵系統のあるメインブリッジか、中枢のエンジンルーム、もしくは左右両翼の飛翔翼を狙ってきている。問題なのは、敵の狙いがどれなのかに絞れないということだ。
 敵の動きを把握しようにも、《メルアンの戦闘員》たちは突入した場所場所で監視装置を壊すことを忘れなかったので、ゼスタムとしてはすべてを守るしかない。

 ついに《聖求の勇者 セレネカ》を映していたカメラも破壊された。もうこの部屋からは艦内状況を把握できない。
 ——が、シェネは見た。映像が途切れる瞬間に、セレネカを強襲しようとするゼスタールの姿を。

 居ても立ってもいられなくなったシェネは、部屋を飛び出した。



 斜めに受け流した長剣は赤毛を切り裂いていた。数少ない自慢の長髪だが、恨み言を吐く余裕はない。

(やばいかも………)
 《魔導戦艦 ゼスタナス》だとかいう呼称のレーテの黒い船、その中央後部ブロック。メルアンは3つの小隊に分けて進撃したわけだが、敵の総大将――《魔血の破戒騎士 ゼスタール》は迷うことなくセレネカのもとへとやってきた。

 守らなければいけない場所が多すぎるゼスタムに対し、メルアンは明らかに優勢なはずだった。なにせ、各所で破壊活動をするだけで、相手はその火消しに回らなければいけないのだ。飛行中の戦艦に入り込まれた時点で、戦の勝敗は決まったようなものなのだ。
 だがゼスタールが現れるやいなや、その趨勢は逆転し始めた。彼が剣を振るうたびに《メルアンの戦闘員》は倒れていき、数の優位性は崩れて互角になった。

 慌ててセレネカはゼスタールと切り結んだわけだが、レーテの最年少騎士という噂は伊達ではなかった。くそう、パン屋で麺棒を振るうのと剣を振るうのでは勝手が違い過ぎる。
 ゼスタールの剣がセレネカの剣の下に入り込む。巻き上げだ。わかってからでは反応が追い付かない。剣は弾き飛ばされ、さらに肘を入れられてセレネカは尻餅をついた。倒れる拍子に身体が床に叩きつけられた。頭を打った。額が割れて血が出た。

(あ、やば――)

 セレネカはゼスタールを見てはいなかった。彼の背後を見ていた。
 セレネカに止めを刺すべく剣を振りかぶるゼスタールではなく、彼の背後で戦う《メルアンの戦闘員》と《ゼスタムの戦闘員》を。
 身体が半ば砕けた《ゼスタムの戦闘員》が死力を振り絞り、《メルアンの戦闘員》の胸に剣を打ち込もうとするのを。
 その剣を避けようとして、《メルアンの戦闘員》が後方に飛び退るのを。
 ゼスタールにぶつかるのを。

 バランスを崩したゼスタールは後方を確認し、《メルアンの戦闘員》に剣先を向けた。セレネカはその隙を逃さず這って剣を拾い、ゼスタールの足を切りつける。浅い。浅い、が、戦闘不能に追い込むには十分だ。

 周囲で戦っていた《メルアンの戦闘員》と《ゼスタムの戦闘員》は、すべて死んだか戦闘不能に追い込まれていた。
 立っているのはセレネカだけ。
 足を切られて膝をついているのはゼスタールだけ。

 ああ、幸運だった。予期せぬ幸運だった。だがそれが戦いだ。
 ふらつく頭を押さえながら、セレネカはゼスタールの喉元をめがけて剣を突いた。お喋りをする余裕はなく、反撃のチャンスも与えるつもりはなかった。剣先は突き刺さった――が手応えは柔らかな喉のそれではない。剣が刺さっていたのは喉ではなく、背中だった。背中?

 ゼスタールの頭を胸に抱くようにして、黒オセロテが立ち塞がっていた。剣の先は彼女の左の背に深々と突き刺さっている。心の臓に届くには十分なほど、深く。深く。



 シェネは理解していた。心臓の位置が貫かれていること。剣が抜き取られたら、そこから出血が始まること。死の間際にいること。

 こんな酷い事態に陥ったのは二度目だ。8年前は、助けられなかった。我が子を。だが今回は、今回は――。
 胸に抱いていたゼスタールの体温を感じる。先ほどまで戦っていただけあって、温かい。生きている。まだ、大丈夫。今度は間に合った。

 最後に、最後に何か言い残すことは――。
「愛してるよ」
 違う。
「血は繋がってないけど、親子だったよね」
 そんなことはどうでもいい。
「死なないで」
 そんなこと言っても仕方がない。

 シェネは考えた。考えて、考えて、考え抜いた結果として、血とともに溢れた言葉はゼスタールに宛てたものではなくなった。

「ゼスタールを守れ!」
 シェネは叫んだ。誰かにこの言葉が伝わってくれればと、誰かが助けてくれればと、誰かが、誰かが――ゼスタールをここから逃がしてくれればと、そんな願いを篭めて。
「ゼスタールを守ってやってくれ……!」

 言葉はどこまで届いただろうか。それを確認するより前に、背からずるりと剣が抜けた。力が抜けていき、呼吸ができなくなり、シェネは闇の中へと落ちていった。

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