和英文珎/烏の学校

 鳥と呼ばれる鳥がいます。生ゴミを漁る鴉はその代表です。
 そのため、仙台に引っ越してきたばかりの緒美は、登校途中にコトンと何かが落ちる音がしたとき、その原因が鴉であるとは思いもしませんでした。
 音がしたほうを見てみると、道路の真ん中に木の実が落ちています。どこから落ちてきたのでしょう。周りに木なんてないのに、不思議です。
 緒美は小学校に登校してから、友だちにそのことを話してみました。
「それはきっと、鴉が落としたんだよ」
 と仙台生まれの友だちはすぐに答えました。
「鴉が?」
「仙台の鴉はすごく頭が良いんだよ。硬い木の実を道路に置いて、車に踏み潰して割ってもらうの。すごいでしょ?」
 東京から来た緒美にとっては、鴉といえば害鳥で、そんな賢い鳥には思えません。だから、緒美は鴉が嫌いでした。

 ャアキャアという、高い鳴き声が聞こえて来たのは、六月に学校帰りに森の前を通ったときでした。
 初め、緒美は猫か何かかと思いました。声へ近づいてみると、背の高い木の下で鳴いていたのは、真っ黒のふわふわした毛をした、手の平で包めそうなくらい小さな鴉の雛です。
 黒い羽が赤い血で染まっていて、怪我をしています。近くには親鳥の姿も見えません。嫌いな鴉でも、怪我をしている雛は放っておけません。
 緒美はその雛を抱きかかえると、来た道を取って返し、急いで小学校に戻ります。
「先生……、この子を助けて」
 と職員室に駆け込み、担任の鶴田先生に助けを求めます。
 鶴田先生は眼鏡をかけた、若い男の先生です。初め、彼は緒美の連れて来た怪我をした鴉を見て、びっくりした顔をしていましたが、動物病院へ連れて行き、治療を受けさせてくれました。
「良かったね」
 と治療を受けた鴉の雛を見て、緒美は呟きました。雛は怪我をしていたものの、休めば元気になり、飛べるようになるだろうということでした。
 クロと名付けられた鴉は小学校で育てることになりました。誰よりも率先してクロの世話をしたのは、緒美です。
 クロは日を追うごとに元気になり、身体は一回り大きく、羽は大人のように真っ直ぐなものになっていきました。緒美が餌を差し出してやると、嬉しそうに食べます。緒美は、嫌いだったはずの鴉が好きになりました。

 れからひと月ほどが過ぎました。
 ある土曜日の朝早くのことです。クロの世話をするために学校にやって来た緒美が見たのは、誰もいない教室でクロの籠を持ち出そうとする鶴田先生の姿でした。
「先生」
「うわっ」
 と鶴田先生は、緒美に声をかけられ、驚きます。
「クロをどうするの?」
 と緒美が尋ねると、鶴田先生は諦めたような顔で溜め息を吐いてから、こう言いました。
「逃がすんだよ」
「どうして?」
「クロは野生に返さなきゃいけない」
「そんなことない。わたしたちで、ちゃんと飼っていけるもの」
「きみがクロを助けようとしたとき、どうしようか迷ったんだ。元の場所に戻してきなさい、と言おうかとも思った。野生動物が野生のままに死んだり、狩られたりすることで、その数を丁度良く保っているんだ。だから人間が助けたら、自然に影響が出る」
「見捨ててなんておけないよ」
「そうだね。ぼくはきみたちが、クロを通して命の大切さを学んでくれればいいな、と思ったんだ。だから助けた。でももうクロは元気になった。野生動物のクロには、この籠は狭すぎるんだよ。閉じ込められているのと同じで、辛いんだ。だから森へ返してあげよう」
 緒美は何も言い返せず、こくりと頷きました。目に溜まった涙がぼろぼろと零れました。
 鶴田先生の車で、森へと向かいます。緒美がクロを拾った森です。
「わたし、余計なことをしたの?」
「そうじゃないよ。きっとクロも感謝しているよ」
 クロを籠から出すと、不思議そうな顔で緒美たちを振り返ります。しかし緒美たちが離れると、クロは翼を力強く羽ばたかせて森の奥へと飛んでいきました。
 クロは籠から逃げてしまったことにして、森へと連れて行ったことはふたりだけの秘密にしました。誰もが緒美のように、クロのことを第一に考えられるわけではないからです。

 美が道を歩いていると目の前に胡桃が落ちてくるようになったのは、クロを逃がしてから半年近くが経過した十一月のことです。
 空を見上げると、鴉が飛んでいます。緒美は体重をかけて胡桃を踏んでやりますが、固い胡桃は割れません。自力で割るのは諦めて、車道に投げてやりました。
 しかしその後も、鴉は何度も緒美の目の前に胡桃を落としてきました。
「わかった!」
 と言ったのは一緒に歩いていた友だちです。
「何が?」
「きっと、あれはクロだよ。それで、胡桃はお礼なんだよ。だって、緒美ちゃんがいちばんクロのことを可愛がっていたもん」
 緒美は胡桃を拾い上げ、空を見上げました。飛んでいる鴉を見ても、区別なんて付きませんが、確かにその中にクロがいるような気がしました。

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