展覧会/悪魔のミカタ

未だに読んでいるライトノベルというと中村恵理加うえを久光で、と書き出そうと思ったが、うえを久光はここ2年くらい読んでないし(最後に読んだのは『ジャストボイルド・オ・クロック』か?)、中村恵理加はそもそも本出していない気がする。
まぁ最近読んでいないとはいえ印象に好きな作品を書いてくれたということでひとつ。

悪魔のミカタ グレイテストオリオン

うえを久光/メディアワークス/藤田香

『悪魔のミカタ』は5巻が最高だ。ボクシングだ、狼男だ真島先輩だッ! そうッ、真島先輩だッ!
うえを久光というと傍点(文字の横、ルビが入るところについている黒丸)が異様に多い一ページ丸まる傍点ついてるとか)作家だが、5巻の『グレイテストオリオン』ではまだふつうレベルである。

傍点のことはさておき、『悪魔のミカタ』において存在する、人間の心の底からの願いを叶えるアイテム<<知恵の実>>、この知恵の実の存在形態はなかなか秀逸だ。
知恵の実はかつて深い執着を持った人間から生じた道具であり、世界中に散らばっている。
もし人間が、悪魔がばら撒いた魔法アイテム、知恵の実に接触したとき、その知恵の実が叶えられるような願いをその人間が持っていたとすれば、それで半ば自動的に悪魔との魂の契約が完了する。願いを叶えてもらう代わりに魂を差し出さなければならないという、古典的な契約が。

悪魔と契約をしたからといって、必ずしも悪魔に魂を捧げなくてはならないというわけではないというのも古典の通りである。
古典的な物語では、邪悪な悪魔によって願いを叶えてもらった人物は、徳の高い人々の力や古来の伝統的な手法、あるいは本人の知恵や悪魔から授けてもらった力を用いて悪魔を退ける。そして悪魔を退けた人間は、人間は魂を売り渡さずに分捕った力(あるいは財)とともに幸せに生きました、というのがありがちな展開だ。
それは『悪魔のミカタ』の中でもどうやら同じなようで、それを物語ではこう表現している。人間は、と悪魔は言う、人間は神に愛されているのだから、と。

悪魔と悪魔の力を得た人間が戦えば、人間が勝つのが物語の道理だ。人間はこずるく、悪知恵が回る。悪魔はまんまといっぱい食わされ、ただ働きをされることになる。
悪魔よりも悪魔的な人間のずるさを知った悪魔が考案したのが悪魔のミカタ』というシステムだ。『悪魔のミカタ』とは悪魔自身ではなく、悪魔の代行者として人間を契約者と戦わせることで、「悪魔対人間」ではなく「人間対人間」という構図に持ち込み、「最後は人間が悪魔に勝つ」という物語の定石を覆す戦略なのだ。

できるだけ1巻『魔法カメラ』のネタバレにならないように書くと、主人公の堂島コウはある願い事を叶えるために、悪魔のミカタになった高校生である。
知恵の実によって願いを叶えた人間、すなわち契約者悪魔サイド、つまり悪魔や悪魔のミカタの勝負は単純だ。契約者に「自分は知恵の実を得る代わりに魂を渡すという契約をした」ということを認めさせれば悪魔の勝ち認めさせられなければ悪魔の負け。ただし悪魔のミカタは基本的にはふつうの人間なので、殺されたら悪魔のミカタの負けという条件もつけておかなければならない。

悪魔のミカタ対契約者の対決は、基本的に「知恵の実を使ったということを何らかの方法で認めさせようとする悪魔のミカタ」「悪魔のミカタが策を講じる前に殺そうとする契約者」という対立構図になる。陳腐な表現だが対決は相手の裏をかこうとする頭脳戦になり、これはありきたりだ。
しかし『グレイテストオリオン』で描かれるのは、もちろん「悪魔のミカタ対契約者」というありきたりな構図もあるが、「悪魔対準契約者」という構図もあり、これは非常に新鮮だ。

最初に述べたように、人間と悪魔との契約は、人間が世界中に散らばっている知恵の実に触れたとき、その人間の持っている願いがその知恵の実に叶えられる願いだったら、半ば自動的に完了する。
これはつまり、積極的に知恵の実という魔法アイテムで願いを叶えたいと思っている人間ではなくとも、何かしらの願いがあって、その願いと知恵の実の叶えられる願いが重なっていれば、魂の契約が交わされてしまうということである。
善人が悪魔の計略にかかったものの、さまざまな苦難を乗り越えて悪魔を打ち払いハッピーエンドを迎える時代は終わったのだ。現代には悪魔のミカタがいて、悪魔のミカタはふつうの人間の頭脳では倒せない。人間にも負けを享受しなければならない時代が来たのだ。

契約者になりきっていない人間、これを準契約者と表現すると、準契約者と悪魔との戦いは、決して契約者と悪魔のミカタとの戦いとのように、頭脳対決にはなりえない。なにせ悪魔のミカタの存在がある現代の悪魔としては、契約を交わした後は悪魔のミカタに任せれば良いのだから、魂の契約を交わした時点でほとんど勝ったようなものなのだ。
人間が悪魔に勝つためには、「契約を交わさないこと」しかないのだ。その方法のひとつとして、知恵の実で叶えられるような願いを持たなければ良い。

たとえば第1巻『魔法カメラ』に登場する魔法カメラことピンホール・ショットは、写された写真を傷つけることで、その写真に写っている人物の心臓に穴を開け殺すことができる。だったら人を殺したいなんて願わなければ良い。簡単だ。
2巻で登場するインヴィジブルエアというスプレーは、吹きかけた対象を透明にするという効果がある。透明にするだなんて何の役に立つ? そんな知恵の実が使えるような願いなんて持たなければ良い。これも簡単だ。
3巻は上下巻だが、これに登場する知恵の実、パーフェクト・ワールドある一定の空間を閉塞させ完全な状態に保つというわけのわからない効果がある。閉じられた空間に何の意味があるだろう? 世界は開けている、すばらしい。こんな知恵の実には騙されない。

では『グレイテストオリオン』は?
グレイテストオリオンの効果は「肉体を変化させる」というただそれだけだ。
だがその効果は恐ろしく多岐に渡る。

たとえば第1巻のピンホール・ショットは「人を殺すこと」ただそれだけの目的にしか使えないが、グレイテストオリオンで「遠隔から気づかれないように人間を殺せる肉体に変化したい」と願えば、ピンホール・ショットの「遠隔から人を殺す」という願いをカヴァーできる。
たとえば第2巻のインヴィジブルエアは「物を透明にすること」ただそれだけの目的にしか使えないが、グレイテストオリオンで「対象を透明にできる身体になりたい」と願えばグレイテストオリオンはインヴィジブルエアを超える。
肉体の変化というのは外面の変化だけに留まらない。グレイテストオリオンを使うのに小難しい理論はいらないし、それが物理的に理に適っているかなどということも問題にならない。ただ結果がイメージさえできれば、グレイテストオリオンはその通りに肉体を変化させる
おそらく悪魔のミカタ、堂島コウの願いさえも、使い方によっては叶えることができるだろう。作中でグレイテストオリオンはこう評価される。

「なんてすごい<<知恵の実>>だろう。……まさに偉大すぎる【グレイテスト】……」

あらゆる願いを叶えられるといってもほとんど過言ではないグレイテストオリオン。
その知恵の実に触れた人物、今回の主役である真島綾はただでさえコンプレックスの多い人間だ。しかもそれだけではなく、彼らの、つまり悪魔のミカタや悪魔のミカタの味方たちの敵は真島綾がどうしてもグレイテストオリオンを使って肉体を変化させなければならないような爆弾、悪性の脳腫瘍を彼女の脳の中に置いていった。

魂の契約を交わしていない準契約者と悪魔との戦いは、頭脳の戦いではなく、哲学や信念の戦いになる
先に述べたように、人間である準契約者が悪魔に勝つためには「魂と引き換えに願いをかなえてもらう」という契約を交わさない以外にないのだ。
逆にいえば、たとえその知恵の実を使っても、その使用目的が心の底からの願いに沿ったものでなければ、魂の契約は交わされたことにはならない

真島の勝利条件は言葉にすれば簡単だ。
グレイテストオリオンで脳の腫瘍を消しつつも、「あらゆる願いを叶えるグレイテストオリオンを持ってしても自分の心の底からの願いは叶えられない」とただ純粋に思えば良い。ほとんど完璧に近い知恵の実を以ってしても、自分の願いは叶えられないのだという信念を持てば良い。悪魔に負けないための哲学を身につければ良い。

『悪魔のミカタ』の主人公である堂島コウは、悪魔のミカタとして契約者たちと戦い、勝利を収めてきた。だが彼が悪魔に勝利をしたことは一度としてない。彼が戦ってきた相手は常に人間であり、むしろ彼は悪魔との戦いに負け、甘言に乗った人物なのだ。自分の魂ではなく他人の魂を用いて願いを叶える悪魔のミカタになっていること自体、悪魔に負けているようなものだ。
その堂島コウですら勝てない相手に、真島綾は勝たなくてはならない。
自分の願いは叶えられないのだと、どうにもならないのだと、そう心の底から願ってただ箸を使うかのようにグレイテストオリオンを使って自分の脳の腫瘍を除去しなければならない。

これは哲学を得るための物語だ。
推理小説でいえば、犯人を推理していく結果を求める物語ではなく、古畑任三郎やコロンボのように読者には予め犯人という結果はわかっており、そこに到達するまでの過程を求める物語なのだ。
哲学というのは突き詰めていけば「良く生きる」ためのツールだ。「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いを投げかける子どもに対してぶん殴るというのもある意味ではよく生きるための哲学であり、また良く生きるための行為そのものでもある。

答えは自明であり、自明のことこそ受け入れるのが難しい。
決して答えがわからないわけではない。自分の中に答えはあって、だがそれを認めるのが難しく、辛い。だからこそ解に至るまでの道程は美しく、力強い。グレイテストオリオンを乗り越えた真島綾のように。

(引用は『悪魔のミカタ グレイテストオリオン』(うえを久光/メディアワークス/藤田香)より
ルビは墨付カッコ内)

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