アメリカか死か/07/04 Those!-4

「ここがMarigold地下鉄駅か………」
Lynnはひとりそう呟いてバイクを降りた。戦前に作られた注意を促す黄色の標識の傍には『Marigold Station』と大きく書かれた案内版がある。地下へと続いていく階段は荒れ果てていたが、乗れば崩れてしまうということはなさそうだ。
 階段の前にFire Antの死体があった。頭を撃ち抜かれているところを見るとRitaに撃たれたのかもしれない。彼女はここに来たと言っていた。


 地下鉄駅内部に入ると以前と同様に変身が解け、普通の衣服の姿に戻ってしまった。少し緊張する。あのスーツ姿なら炎を浴びせかけられても熱いと感じる程度で済んだが、普通の服では一度火が点いたら消すのが難しいだろう。すぐに全身に火が回ってしまう。
 未だ変身の条件が曖昧である以上は警戒するに越したことはない。

 そう思い警戒に警戒を重ねて歩を進めたが、それは無用のものだった。地下鉄駅内部でLynnが見つけたFire Antはすべて死んでいた。



 おおよその個体は頭部に弾丸によるものらしき傷跡を受けて死んでいる。一部の個体は奇妙なことにお互いでお互いを喰らい合ったような痕跡が見受けられたが、どうやらこれは触角の欠損が原因らしい。
 蟻の頭を撃ち抜いた弾丸の口径は小さい。おそらくRitaがこれらの蟻たちを殺したのだろう。彼女は怪我をしていなかったので、遠距離から目端につく蟻を殺したのだ。


 奇妙なのはMarigold地下鉄駅は蟻だらけで入れないと彼女が言っていたことだ。これだけの腕前があるのならば、蟻たちを一掃するのは容易なように思える。Leskoを探すのも不可能ではない。

 考え事をしながら歩いていたときに急に目の前の扉が開いたのでLynnは驚いて仰け反った。
 しかし扉を開けた相手のほうはLynnよりもさらに驚いたようで、男にしては甲高い声をあげて退いた。

「お、驚いたな……。急に出てこないでくれ」
 目の前の男は眼鏡をかけ、白衣を着たいかにもな科学者といったような出で立ちだった。
「すみません、驚かす気はなくって……、こんなところに人がいるとは思わなかったんです」Lynnは謝罪の後に尋ねる。「あなたは……、Leskoさんですか?」
「いかにも」と科学者風の男は仰々しく頷く。「ここはぼくの実験室だ。とても繊細で清潔が保たれた場所だといことを自覚してもらえるかな」


 Lynnは自分の衣服に視線を落とす。お世辞にも清潔であるとはいえない格好だ。
 しかしそんなことを気にしていられる状況ではない。Leskoが生きていたのだ。Graydichの2人目の生き残りがいたのだ。Bryanはひとりきりではなかった。

 歓喜に震えるLynnには気にも留めず、Leskoは勝手に語り始める。
「ぼくの実験は複雑性を孕む自然に関するもので、これまで多くの科学者がこれを解明しようとしてできなかった……、否、ぼくがついにやり遂げた。最初の試みは生物の大きさを変えるというものだ。これには昆虫を用いて……、いや、もう少しわかりやすく説明しようか」
言いながらLeskoは出てきたドアの中に入っていく。Lynnもついていく。

 そこはLeskoの研究室だとわかった。壁には多くの電子機械があり、おそらくFire Antのものであろう肉片やそれ調べるためのものであろう器具も据え付けられていた。ホワイトボードは備忘録や計算式、今日の夕飯の献立などが書かれている。
「つまりは品種改良だな。受精卵に対して変異を促す物質を注射する。その結果次世代は小さな身体を得る。これを何度も繰り返す。何度も何度も。するとその元の個体は小さくなる。ま、たまに失敗もある。火を噴く個体も出来てしまったことだし」

 LynnはこのLeskoの研究がFire Ant撲滅のためのものだと勝手に思い込んでいた。Leskoがここに居を構えたのはGreyditchを守るためなのだと。だから彼の言葉がはじめ理解できなかった。

「とはいえあれはちょっとしたミスによるものだ。小型化した蟻の受精卵に別のDNAが混合してしまった」
「Fire Antはあなたが作り出したものなのか?」LynnはLeskoの言葉を遮って訊く。
「Fire Ant? ああ、なるほど。あの種をそう呼称しているのか。そうだよ」Leskoはあっさりと頷いた。「困っていたんだよね、あれに近づけなくて。ちょっとしたミスの原因を突き止めたかったんだが」

(ちょっとしたミス?)
 人が死んだのだ。
 Bryanの父親は、家族は、友は死んだのだ。
それなのに。

「まぁ科学の発展のためには瑣末な犠牲も仕方がないというものだ。ぼくの研究が成就すれば多くの人間が命を救われることだろう。大事なのはこれからのことで、そう、きみが来たのは都合が良かった。昨日別の女が来たけれど、彼女は話を聞くだけ聞いて何も協力しようとしなかったからね。まったく、嘆かわしいことだ。きみはそんなことはないだろう?」


 LynnはRitaの言葉の訳を知った。
 RitaはMarigold駅でLeskoに会ったのだ。そしてLynnが聞いたのと同様の話を聞いた。彼はBryanのことをなんとも思っていないのだということを知った。彼女はLeskoをBryanに会わせることを諦めたのだ。だからLeskoには会えない、きっともう死んでいると嘘を吐いた。
 Lynnはどうすれば良いのかわからなくなってしまった。その間もLeskoは勝手に話を続ける。

「携帯端末を女王蟻の傍の孵化卵機の傍にセットしたんだよ。あれを参照できれば研究は進む。失敗の原因もわかる。だがそこまで近づけない。女王蟻の親衛隊がいる。あれをどうにかして欲しいんだ……。もちろん報酬は弾もう。この研究に貢献できたということだけでも報酬だろうがね。どうだろう?」
「あなたの研究に協力すれば」とLynnは少し考えてから尋ねる。「Fire Antたちを止めることはできるんですか?
「まぁ、そうね、直接的にはではないけれど。携帯端末から電子パルスを送って女王蟻との共感リンクを遮断することはできる。そうすればあの種は同士討ちをし始めるだろう。それで、終わりだ」

 Lynnは完全にLeskoの話を理解できたわけではなかった。しかし頷いた。結果としてGraiditchの破壊を止められるのであれば、彼に協力するに他ない。

「やってくれるか、おお、素晴らしい!」Leskoは声を高くして喜んだ。「ああ、ありがとう、友よ。気をつけてくれたまえ。触角を破壊すれば共感リンクは外せるが、触角を銃で狙うのは容易ではない。まぁ、頑張ってくれ。あと巣の中の装置は壊さないように。紫外線ライトとか発電機があるからね。ああ大事なことを言い忘れた、女王蟻は決して傷つけないように」


 LynnはLeskoの言葉の後半をほとんど無視して案内された巣穴に踏み込んだ。


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